2022年4月の読書録
そんなに忙しかったわけでもなかったが、読書量はそこまで多くなかった。在宅勤務が多めだったのと、寝不足気味で電車に乗っても寝ていた時間が多かったことが要因か。
4月の読書メーター
読んだ本の数:4
読んだページ数:1206
ナイス数:74
モモ (岩波少年文庫(127))の感想
児童文学と思って読むと、内容もボリュームも予想を超えてくる。大人が読無と考えさせられるのではと思いつつ、おそらく本当にこの本を読む必要がありそうな人は、この本を手に取って読み切る暇がないとかいうのだろうなあと思った。「灰色の男たち」という姿を借りてるけれど、時間を奪うものは至る所にあって、なんなら自分自身に灰色の男たちとこの世界の住人が共存しているのではとも思える。効率良く生きれば、その先に幸せはまっているのだっけ、と考えされられる。
読了日:04月11日 著者:ミヒャエル・エンデ
楽しむ! 極める! キャンプ完全ガイドの感想
キャンプど素人が読むのに良い本。テントやタープの設営とか、火おこしの方法とかわかるし便利(ど素人でも、手伝えることはある笑)。初キャンプ前に読めば良かった笑。読了日:04月12日
マーディスト ―死刑囚・風見多鶴―(上) (角川スニーカー文庫)の感想
同じような事件と展開が淡々と進むのかなあと思ったら最後に急展開だったな…下巻はどうなるのか。
読了日:04月14日 著者:半田 畔
グラスホッパー (角川文庫)の感想
「劇的」でもあり「激的」な展開で、最後の2割くらいを一気に読んでしまった。最初から伏線ありまくりだったじゃんか…。最後鈴木さんどうなったんだろう。電車が途切れない時は…って田中さんが言ってたんだっけ?
読了日:04月15日 著者:伊坂 幸太郎
mang2guo3.hatenablog.com
読書メーター
児童文学と思って読むと、内容も分量も予想を超えてくる。この本を読む必要がありそうな大人は、読む暇ないとかいうのだろうなあ…自分自身に灰色の男たちとこの世界の住人が共存しているのではとも思える。
— 蜂蜜綠茶🍯🍵 (@83greentea) 2022年4月11日
モモ (岩波少年文庫(127)) / ミヒャエル・エンデ #読書メーター https://t.co/0r09VBcPk8
好きな街~住みやすさに振り切った緑の街
今週のお題は「好きな街」とのこと。個人的に一番好きな街といえば、学生時代を過ごした仙台一択である。
仙台は、とにかく住みやすい街として開発された都市であるように思う。「杜の都」と言われるように緑が多い一方、駅前などはそれなりに大きなお店もあり、買い物には不自由しないどころか、適度なと快感も味わえる。それでいて、東京や大阪のような騒がしさがなく、都会なのに落ち着いている。ちなみに「杜」って何だと思った人はこちらを読んでほしい。
「杜」の良い例は定禅寺通りだと思う。夏は新緑に包まれ、冬は(12月だけだけど)光のページェントというイベントが行われている。雪が降ればホワイトページェントと呼ばれ、より光がまばゆく見えて美しい(気がする)。
また、冬は雪は降るがそこまで積もらない、というのも住みやすさに一役買っていると思う。仙台は一応雪は降るが、山形県民にいわせると「東北ではない」というレベルで雪が少ないらしい。また、岩手県民も「岩手の寒さは宮城の比ではない」というし、実際私もそうだと思っている。ツイッターにわかりやすい解説があったので引用。
青森県すごい
— ねとらぼ (@itm_nlab) 2021年2月9日
宮城県は東北6県で最弱? 東北地方の寒さと雪を“四天王”風に表現したイラストで分かる格差がすごい https://t.co/E7cYzrtLuM @itm_nlabより pic.twitter.com/UNo0LQ5yXV
逆に遊びに来てくれる友人に、観光地ってどこと聞かれると(仙台城跡...?いや、市街だけど松島行くのがいいと思うよ…)と煮え切らない解答しかできない。住みやすすぎて、観光地としてPRするときになんだかおぼつかなくなってしまう。
仙台の魅力といえば、こちらの動画で紹介されているので、ご覧いただければと(仙台在住経験のある方は共感の嵐なのでは)。
【読書録】グラスホッパー
久々に小説が読みたいなと思い、手に取ったのが伊坂幸太郎さんの『グラスホッパー』。
気軽に読み始めたにしては、いきなりアウトローな空気全開。血みどろ、バキバキ、ゴリゴリな殺し屋のお話。ところが、ミステリーというよりは、殺し屋業界の人たちが複雑に絡み合いつつ、だんだん近づいていき、最後は...というお話。
ミステリーだが、謎解きよりも、彼らがどういった技を使うのか、そして何を求めているのかが明らかになっていく過程が面白い。
以下、完全にネタバレなので、まだ読まれていない方はご注意を。
個人的には、最初に車に乗せられた男女カップルやホームレスのおじさんの発言が、物語の終盤でしっかりフラグ回収されている点が面白かった。本筋のキーというほどでもないが、読者に気付かせずフラグを立てておく技術…秀逸。
「劇的」でもあり「激的」な展開で、最後の2割くらいを一気に読んでしまった。何言ってもネタバレになっちゃうので感想はこれくらいで…。
— 蜂蜜綠茶🍯🍵 (@83greentea) 2022年4月15日
グラスホッパー (角川文庫) / 伊坂 幸太郎 #読書メーター https://t.co/h2GRrRg5gO
【読書録】モモ
時間とは何か、私たちは何のために時間を使っているのか…
という、大人でも答えがぱっとはでてこない「時間」をテーマにした児童文学を読んだ。
児童文学と思って読むと、内容もボリュームも予想を超えてきた。
大人が読むと、時間の使い方や自分たちの姿勢(とくに、いそいそと何かをする行動)を考えさせられるのではと思いつつ、おそらく本当にこの本を読む必要がありそうな人は、この本を手に取って読み切る暇がないとかいうのだろうなあと思った。
この本では、時間を奪う存在として「灰色の男たち」が登場する。ここはファンタジーなので、こういった男たちの姿を「時間を奪うもの」の象徴として描いている。
現実世界に「灰色の男たち」はいないが、彼らのように時間を奪うものは至る所にあって、なんなら自分自身に灰色の男たちとこの世界の住人が共存しているようにも思う。それは、他人と比べての焦燥感だったり、これと言った理由がないのに「みんなそうしているから」、「誰かにやれと言われたから」などなど、モノというより考え方のようなものだったりもする。
効率良く生きれば、その先に幸せはまっているのだっけ、と考えされられる一冊。
【今週のお題】好きな公園
今週のお題は「好きな公園」ということらしい。
小さい頃は、遊具がある公園で友達と遊んだものだった。だが、成長するにつれ、体と遊具の大きさの比率が悪くなったこともあり、遊具で遊ぶことはなくなった。
しかし、それで公園に行くのをやめたわけではなく、むしろ遊具以外の要素を求めて公園に行くようになった。例えば、大学生のときに初めて経験した花見(極寒だったけど)、公園沿いの川辺を眺めながらの散歩、小縣でくつろぎつつのピクニックなど。
ここまで思い出して、ふと、公園とは遊具などなくても公園なのだろうかと疑問に思った。公園の定義を確認したところ、国交省が説明してくれていた。
公園を設置する目的は、人々のレクリエーションの空間、良好な都市景観の形成、都市環境の改善、都市の防災性の向上、生物多様性の確保、豊かな地域づくりに資する交流の空間の提供である。
ということで、遊具の有無に関係なく、上記の目的にかなうものが公園となるらしい。ちなみに、さらに細かいところまでいうと、一般に「公園」と呼ばれているものは営造物公園と地域制公園とに大別されるらしい(公園豆知識...)。私が遊具で遊んだ公園も、遊具がなかったあの公園も、全て公園だったようだ。
さて、本題に戻るが、好きな公園というのも、年を重ねるにつれて変わってきた気がする。小学生くらいまでは以下に遊具があるかがわりと重要で、鉄棒、雲梯、ブランコ、上り棒、ジャングルジムなどで遊んでいた。中学・高校は部活や勉強でそもそも外で遊ぶことがなくなったが、大学以降になるとまた公園を訪れる機会が増えた。ただ、目的は遊びではなく、花見やピクニック、散歩などに変わっていった。
最近特に好きな公園は、シートでも石でもベンチでもなんでもいいのだが、とにかく座ってお茶でも伸びつつおしゃべりが楽しめるような公園である。
冬ならば、温かい部屋でココアでものみながら屋内でぬくぬく駄弁るのがよいが、こう天気がよくなると、閉塞感のある屋内よりも、開放感ある屋外で、小鳥のさえずりをききながら駄弁るのも楽しい。耳に入る音や、目の前に見える形式はすべて日常的に存在するものであるはずなのだが、公園で駄弁るというのは少し非日常的な経験となり、新鮮な気分にさせてくれる。
完全に、幼少期から公園に対して求める要素が変わってしまった。まず、求めるものは遊具ではない。さらに、幼少期は遊具で遊ぶことが「日常」だったが、最近の私は日常の中のささやかな「非日常」的な時間をもとめて公園に行っている。年を重ねるにつれ、新たな目的と楽しみ方が生まれる公園、まだまだ気づいていない楽しみ方がありそうだ。
2022年3月の読書録
2022年度が到来してしまった。3月は年度末の忙しさ等もあって、冊数ベースでは読書ははかどらなかった印象。ただ、読んでよかったと思える本に出会えたので、質的には悪くなかったんじゃないかと思う。
3月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:1577
ナイス数:35
燃えつきるまで (幻冬舎文庫)の感想
中間読むのが辛かったな…。主人公もそうなんだけど、周りの人にも共感できる部分があった。主人公に「いやそれはダメでしょ」とか思うこともあるんだけど、主人公(やその知り合い)みたいに絶対にならないとは言い切れなくて…本当に何かが起こってブレーキがかからなかったら…とヒヤリとした。最後は「燃えつき」て、スッキリはしないけど、安心した…。
読了日:03月01日 著者:唯川 恵
岩波科学ライブラリー ハトはなぜ首を振って歩くのかの感想
鳩の首振りの深淵を覗く本。奥が深い。頭と目の比率、目の形と位置などなど、鳥だからと一括りできるものではなく、ある体の特徴を持っているから首振りが(それも多様なパターンで)生まれるようだ。
読了日:03月11日 著者:藤田 祐樹
いのちの初夜 (角川文庫)の感想
「文学」そのものを見せつけられた作品。これを書いたのが、筆者が22歳の時で、その後23歳で病没したとは…。以前、文学部の博士課程にいらした先輩から「文学作品からは、今直接見ることのできないその時代の人の心が見えるんです」と聞いたことがあったが、まさにその言葉の通り…。癩病にかかり、家族や社会から切り離された人々が、どんな生活をしたのか、この作品からしかわからないのでは。書評が川端康成なので、そこも含めて最後まで読み入ってしまう。これ、高校生の時に後書きまでしっかり読んだら、文学部を志したかもな…。
読了日:03月12日 著者:北條 民雄
⇒読書感想文ブログはこちら。
自分の〈ことば〉をつくる あなたにしか語れないことを表現する技術 (ディスカヴァー携書)の感想
よく考えることが大事。物を描くのが苦手な人向けの本だと思った。
読了日:03月15日 著者:細川 英雄
総選挙ホテル (角川文庫)の感想
自分で自分の良さとか意外と分かってなかったりするよね〜っていうのが全体を通じた感想。それを適材適所に設置してあげる方法が「総選挙」だったわけで、これを現実でやるかはさておき、面白いなと個人的には思った。
読了日:03月19日 著者:桂 望実
数値化の鬼 ーー 「仕事ができる人」に共通する、たった1つの思考法の感想
ななめよみ。数字が全てではないってのはわかってるけど、数字も大事なのでまずはそこから考えよっていう内容。数字の使い方(データ分析)っていうより、普段の行動にどれだけ数字を絡めましょうか、みたいな姿勢の本です。
読了日:03月27日 著者:安藤広大
ウイグル人に何が起きているのか 民族迫害の起源と現在 (PHP新書)の感想
あまり資料のないウイグルについて、起源から現在の問題の背景まで理解できる本。「何を何のためにやったか」ではなく、それをウイグル人がやったらテロとして処理する、という中国のやり方、受け入れられん…。
読了日:03月31日 著者:福島 香織
読書メーター
【読書録】いのちの初夜
今回読んだ本は『いのちの初夜』。
ハンセン病を患った筆者による「いのち」が生きた記憶を綴った本。「体験記」でも「日常」でも間違いではないのだけれど、それらの言葉ではこの本の内容に対して意味合いが軽すぎて、なんだか物足りない気がしてしまう。
この本の感想を端的に述べるのであれば、「文学」そのものを見せつけられた作品だった、と言える。以前、文学部の博士課程にいらした先輩から「文学作品からは、今直接見ることのできないその時代の人の心が見えるんです」と聞いたことがあったが、まさにその言葉の通りの内容だった。
中学生の時に、ハンセン病について勉強をしたので、なんとなく症状は知っていた。ただ、この本を読むと、患者にとって、痛みや外見が変わる精神的苦痛、偏見にさらされる苦悩はもちろんあるなのだが、それに加えて、そんな辛い状況でもすぐには死ねず、病魔に侵される体を持ちつつ生きなければいけないことが、とてつもない苦しみであるということが伝わってくる。
この本には、筆者以外の視点(名前)で様々な患者が登場するが、中には、人間はそんな姿になってまでも死ねないのかと思わされるほど凄まじい描写がされている人もいる。そして、その状況に対して、「そんな姿でも生きるのか」という風に考えるのは、そんな境地に陥ったことのない人間の考え方のようだった。ある患者は、自分も含め、患者は人間としてはもう生きていない、いのちそのものとして生きていると語った。
人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。(略)あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしょう。誰でも癩になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです。けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復るのです。復活そう復活です。びくびくと生きている生命が肉体を獲得するのです。新しい人間生活はそれから始まるのです。
こういう「その環境にいた人しか達しえない考え方」が、この本にはいくつも綴られている。ハンセン病患者が社会的にも物理的にも隔離・収容されていたことを考えると、こういった患者の考えや信念を伝えることができるのは(SNSやメールなどがない時代においては)紙とペンしかなかっただろう。
話が戻るが、この本は、そのような閉鎖された空間で、そこにいた人たちがどう生き、何を考えたのかを生々しく伝えてくれ。その意味で、この本を読むことは、文学の価値を体感することなのではと思った。
この本がなければ、(本として形になっていなければ)、人間としては死んでも「いのち」として生きる、という考え方を思いつくことは、凡人の自分にはできないであろう。
「文学」そのものを見せつけられた作品。これを書いたのが、筆者が22歳の時だったとは…。癩病を患い、家族や社会から切り離された人々の生活が、生々しく綴られている。書評が川端康成なので、そこも含めて読む価値大。
— 蜂蜜綠茶🍯🍵 (@83greentea) 2022年3月12日
いのちの初夜 (角川文庫) / 北條 民雄 #読書メーター https://t.co/xTpPy3VFzd