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【読書録】いのちの初夜

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今回読んだ本はいのちの初夜

ハンセン病を患った筆者による「いのち」が生きた記憶を綴った本。「体験記」でも「日常」でも間違いではないのだけれど、それらの言葉ではこの本の内容に対して意味合いが軽すぎて、なんだか物足りない気がしてしまう。

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この本の感想を端的に述べるのであれば、「文学」そのものを見せつけられた作品だった、と言える。以前、文学部の博士課程にいらした先輩から「文学作品からは、今直接見ることのできないその時代の人の心が見えるんです」と聞いたことがあったが、まさにその言葉の通りの内容だった。

 

中学生の時に、ハンセン病について勉強をしたので、なんとなく症状は知っていた。ただ、この本を読むと、患者にとって、痛みや外見が変わる精神的苦痛、偏見にさらされる苦悩はもちろんあるなのだが、それに加えて、そんな辛い状況でもすぐには死ねず、病魔に侵される体を持ちつつ生きなければいけないことが、とてつもない苦しみであるということが伝わってくる。

この本には、筆者以外の視点(名前)で様々な患者が登場するが、中には、人間はそんな姿になってまでも死ねないのかと思わされるほど凄まじい描写がされている人もいる。そして、その状況に対して、「そんな姿でも生きるのか」という風に考えるのは、そんな境地に陥ったことのない人間の考え方のようだった。ある患者は、自分も含め、患者は人間としてはもう生きていない、いのちそのものとして生きていると語った。

人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。(略)あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしょう。誰でも癩になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです。けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復るのです。復活そう復活です。びくびくと生きている生命が肉体を獲得するのです。新しい人間生活はそれから始まるのです。

こういう「その環境にいた人しか達しえない考え方」が、この本にはいくつも綴られている。ハンセン病患者が社会的にも物理的にも隔離・収容されていたことを考えると、こういった患者の考えや信念を伝えることができるのは(SNSやメールなどがない時代においては)紙とペンしかなかっただろう。

 

話が戻るが、この本は、そのような閉鎖された空間で、そこにいた人たちがどう生き、何を考えたのかを生々しく伝えてくれ。その意味で、この本を読むことは、文学の価値を体感することなのではと思った。

この本がなければ、(本として形になっていなければ)、人間としては死んでも「いのち」として生きる、という考え方を思いつくことは、凡人の自分にはできないであろう。