読書録~看書便條~

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【読書録】人生の短さについて 他2篇

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あまり哲学書は読まないのだが、最近仕事関係の本を知識習得目的で読むことが続いたので、反動で抽象的な本が読みたくなり、入手。時期的に、人生とか、生死について考えたい気分だったこともあり、さくさく読めてしまった(翻訳様様だった)。

 

書籍情報

セネカ、中澤務『人生の短さについて 他2篇』、光文社、2017年

印象に残ったところ(抜粋)

  • 先延ばしは、人生の最大の損失なのだ。先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。それは、未来を担保にして、今このときを奪い取るのだ。生きるうえでの最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ
  • たとえば、だれもが認めてくれるだろうが、なんの役にも立たない雑学の研究に熱中する人たちは、いかに一生懸命であっても、なにもしていないのと同じだ。
  • 名誉の称号とか、記念碑のようなもの――すなわち、なんであれ、功名心を満たすために[元老院で] 決議されて公布されたものとか、労役によって建てられたもの――は、いずれは滅び去る。長い年月がすべてを破壊し、変化させてしまうのだ。
  • 限度を越えた大きな悲しみは、どんなときでも、言葉を選ぶ力を奪い去らずにはおきません。じっさい、それはしばしば、声そのものすら奪い取ってしまうのです。

所感

そもそも、この本を読もうと思ったのは、人生は短いと思わされる出来事が数年前のこの時期に起こり、それ以降、毎年この時期に人生について考えたくなるからだった。

実際に読んでみると、現代に通じる部分もありつつも、当時の特殊な時代背景への理解なしにはこの本の内容を消化することはできないと気づかされた。著者は、古代ローマの哲学者だが、当時は愚帝による統治の時代であり、処刑は他人ごとではなく、誰でも突然命じられる可能性があったようである。そのような状況では、数年後どころか来週自分が生きているかの保証さえなく、否応なく人生の使い方、死について考えざるをえなくなるだろう(脱線するが、当時の手記や文章、はやった物語等を通じて、ある状況が人々や社会にどのような影響を与えるかを考えるのが文学なんだろうなあ…と思ったりした)。

この本を読んで感じたことは、人生は突然終わりかねないので、明日に思いをはせるよりも今を生きることが大事、ということだった。乱暴に言うと「明日やろうは馬鹿野郎」という感じ。

また、今をどのように生きるか考えると、人工的に作られた肩書や名誉を追い求めて生きるのは時間の浪費であり、社会に求められる役割を果たすことが大事なようだ。前者はいずれ滅び、忘れ去られるが、後者は語り継がれ、作者の命が尽きた後もその考えや生み出したものは残り続ける(その意味で、時間を超えることができる)という。

前者に時間を費やすのは無駄であり、それは人生を短くしかねない。他人からの評価のためではなく、社会に必要なもののため、何かをよりよくするために時間を使いたいなと思った。