【読書録】だまされた女/すげかえられた首
約1か月かけて、トーマス・マンの『だまされた女/すげかえられた首』を読んだ。
Kindle Unlimitedの対象だったことと、基本的に古典は、翻訳さえしっかりされていればはずれが少ないという経験があったことから手に取った。
2つの小説からなるのだが、どちらも後半から一気に物語が進む(というか、タイトルの意味が分かる)ので、前半部分を読むのに少々時間がかかってしまい、1か月以上要してしまった。
※前半部分を読むのに辛抱が必要、というのは、結構おおくのレビューに書かれていたので、結構同じことを考えている人が多いのかも。
基本的にネタバレになってしまうので、これから読む人には申し訳ないが、以下、個人の感想など。
だまされた女
話の途中の描写で「ん?」と思っていたけれど、自分の思い込みによって騙された夫人のお話、とでも言えばいいのだろうか。恋は盲目なうえに、自己診断は危険だなあと、小手先の感想を抱きつつも、現代人でも共感できる部分がありそうな気がする。
すげかえられた首
そのひとが誰かを定義づけるのは、頭なのか、体なのか。という倫理観が問われそうな話と思わせておいて、実は頭と体は結局つながっているので融和してしまうお話だった。これ、ひとの首を挿げ替えるとなるとグロく感じられるけれど、もしAとBのいいところだけをとった存在を創り出せるとしたら...と考えると、そうしたいと思って行動してしまう人はひょっとするといるのでは、と思ってしまった。
結論としては誰も救われない。しいて言えばシータと「夫」の間に生まれた息子は、「両親」の鮮明な記憶を持たずに、まわりに大切にされて育てられたという意味で、救われたのだろうか。