【読書録】望遠ニッポン見聞録
漫画『テルマエ・ロマエ』の作者であるヤマザキマリさんのエッセイを読んだ。『望遠ニッポン見聞録』というタイトルで、その名のとおり、海外生活の長い作者が客観的に日本を見て気付いたり、考えたりしたことがつづられている。
個人的に最も印象に残ったのは、強い大和撫子の話。
「大和撫子」というと、おしとやかで、微笑み絶やさず、男性を支えるような、女性を思い浮かべてしまう。大和撫子という言葉が、ある種の美しさや素敵な人物像を一言で表す言葉として存在していることは否定しない。ただ、敢えてひねくれた言い方をすると、個人的には、いわゆる男女共同参画社会なんて概念がなかったころの、常に男性よりも弱い立場にい続ける女性像を思い浮かべながらいう言葉でもある思っている。
ここで女性らしさについて議論するつもりはないので、本題にはいると、肯定的な意味合いを持つ言葉として「大和撫子」という言葉がある日本では、女性に対して「逞しい」というと、褒め言葉でありつつも「女性らしくない」の暗示にもなりかねない。
しかし、デンマークでは女性を「逞しい」と形容することは、100%褒め言葉になるという。なぜかというところはぜひ本を読んでほしいのだが、とにかく私はその考え方を素敵だと思った。性別関係なくいろいろな人がいて、逞しさは個性の一つであるのに、その個性を持っているのが女性であるというだけでネガティブな意味になってしまうというのは釈然としなかった。ただ、デンマーク(もしかしたら欧米諸国では一般的にそうなのかもしれないけれど)では、性別に関係なく誰が逞しかろうと、それが素敵な個性としてすんなり評価され、受け入れられるということが、素敵だと感じた。
「逞しい」という形容の呪縛なんて、実は日本を出たら、なくなってしまうものなのかも。
パワフルなイタリア人とブラジル人には驚かされる…。個人的には強い大和撫子の話が好き。日本だと女性に「逞しい」というのは「女性らしくない」の暗示になりかねないと思っていたのだが、それが100%褒め言葉になるとは。
— oαk (@83greentea) 2021年10月8日
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