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【読書録】現代語訳 風姿花伝

目次

中学校の歴史の授業で、能を大成した人物として、観阿弥世阿弥という人物について学びました。観阿弥が父、世阿弥が息子で、世阿弥は父からの教えをもとに、能の理論書として『風姿花伝』を執筆しました。

…と、ここまでは多くの人が知識として知っているはず。ただ、実際に『風姿花伝』を読んだことがある人は少ないのではと思います。

かくいう自分も、この年まで読んだことはありませんでした(厳密には1度、途中まで読んで挫折した)。

ですが、ある日Kindle Ulimitedでこの本をお勧めされた(挫折したのとは別の出版社だった)ので、読んでみることにしました。

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概要

全体を通じて能の理論がまとめられていますが、いわゆる一般的な理論書のような説明文が書かれている部分と、Q&A形式で能に関する疑問を解説する部分の2つに分かれています。

感想

能の理論書でありながら、普遍性もある内容

個人的には、後者のQ&A形式部分が印象に残りました。

「この場合ってどうなの?」「なんでこんなことが起こるの?」という疑問に対し、世阿弥先生がロジカルに回答されています。もちろん能についての話なのですが、読んでいると、能以外の、仕事や人間関係にも通じるところがあると気づきます。

世阿弥は本書を通じて、能に宿る命を「花」と例えています。個人的には、能の専門用語ではなく、「花」のようなたとえを多用しているため、読者がそれぞれ励んでいる分野の「花」を想定して読むことができます。その結果、能以外の分野にも示唆を与える本という印象を抱いたのかなと思いました。

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怠けず、奢らず、ひたすら励め

本書では能を極めるためにはどれだけ経験を重ねても、怠けたり、奢ったりすることなく、励み続けることが重要だと何度も説かれています。と同時に、いつまでも昔と同じような芸ができる(=花がそのまま)ということはないめ、年齢に応じてやるべきことがあるとも指摘しています。たとえば、下の世代の育成とか、体力的に自分にはできないことは若人に譲って、自分の得意分野を極めよとか。

さらには、自分の実力や「花」の有無を見誤り、名声や肩書にすがりついているのはよろしくないとも記しています。

すなわち最も肝要なことは、能の命は花にあり、ということ。すでに花の失せてしまったことも悟らず、元の名望にのみすがり続けること、返す返すも年取ったシテの誤りである。

あと、おもしろいなと思ったのは、能力(と名声)を身に着けるほど、欠点が見えにくくなるとも指摘していて、これは現代の仕事にも大いに通じるところがあると思いました。

そもそも上手にも悪い面があり、下手にもいい面が必ずあるもの。ただこれを見分ける者もなく、本人も自覚していない。上手は名を頼み技能にかくされ自分の欠点が見えなくなっている。下手はもとより工夫せず欠点も見えないので、たまたまある長所にも気付かない。されば上手も下手も互いに尋ねあうべきだ。

ときどき、「ああ、この人、ここを誰にも指摘されないままこの年になってしまったんだなあ」という大人をみかけます。そんなときは、『風姿花伝』のこのフレーズを思い出して、反面教師にしようと思います。

 私はどちらかというと、「下手」に近いので、まずは自分が何ができて、何ができないのかを見分けることが必要なのですが…。

もし良いところに気付いても、自分があんな下手から何を学ぶのだと思い上がれば、この心にしばられて、けだし自身の悪いところをも知ることはないだろう。これがすなわち究め得ぬ心となる。また下手にも上手の悪いところがもし見えたなら、あんなに上手なのに欠点があるものだ、初心の自分にはさぞかし欠点も多いはずと悟り、これを恐れ人にも尋ね工夫をする。これが良い勉強良い稽古となって能は早く上達するだろう。かたや自分はあのように悪い芸などするはずがないと慢心を持てば、自分の長所をもわきまえないシテとなってしまう。 

どれだけ年と経験を重ねても、謙虚に学び続けることが重要なのだと思わされました。

まとめ

今回読んだ『風姿花伝』は、能が題材ではあるものの、良い意味で普遍的で、現代の仕事や人間関係への示唆も含む内容だったと思います。
また、仕事もプライベートも、怠慢や奢りを戒めて励むことが大事なのだと思いました。
ぜひまた読み直したいです。